公判報告

藤岡信勝先生の公判報告


以下は、平成20年3月以降の東京支部掲示板に投稿されました「藤岡信勝先生の名誉を守る会」・つくる会茨城県支部の川又和敏氏の報告を編集したものです。

   目次
   
  渡辺浩記者の証言    
      水戸支局時代の渡辺記者と、つくる会茨城県支部
      肩書き詐称で「出勤停止3日間」の処分
      世紀の特ダネを逃がしながら、「ああ、そうか」の意味は?
      謝罪行脚についての弁解は、後出しジャンケンでは?
      謀略情報は「マンガだった」という新しい証言の意味は?
  藤岡信勝先生の証言    
      歴史教科書批判を開始した後『前衛』から激しい攻撃を受けた
      怪文書の出現
      渡辺記者はなぜ藤岡先生に詫びたのか
      「もう謀略のような汚いことはさせません」の意味は?
      謝罪姿勢はわずか数日
      渡辺記者は八木氏から「5行の謀略文書」を見せられた
      八木氏の痛恨のミス
      渡辺記者が怪文書作成に噛んでいたという歴然たる根拠
      共産党離党の年次に、執拗に拘った被告代理人
  八木被告への呼び出し     
  鈴木尚之氏の証言    
      「八木被告=謀略の主体」を示す動かぬ証拠
      八木被告、「公安情報」で鈴木証人の忠告を無視
      藤岡先生の義父や妻の名を使った怪文書の目的
      渡辺記者は「謀略」加担を認めていた!
      追いつめられた八木氏は開き直った
      証言拒否の土井郁麿氏はファックスの送信役だった
  八木秀次被告の証言    
      平成13年日共離党情報の入手経路
      公安関係者とは誰か
      福地理事の対応とは雲泥の差
      藤岡副会長に対する除名動議 
      鈴木・八木会合では何が焦点なのか 
      平成18年4月理事会での発言
      3月の理事会について記した総括怪文書
      西尾・藤岡往復書簡
      義父についての赤旗記事
      傍聴席からの補遺




 
   藤岡信勝先生の公判報告

「藤岡信勝先生の名誉を守る会」・つくる会茨城県支部の川又和敏です。

 公判報告がまとまりましたので、お知らせします。


 本欄でお知らせしたとおり、3月14日(金)午後2時30分より、「新しい歴史教科書をつくる会」藤岡信勝会長が、元会長の八木秀次氏を名誉毀損で訴えている民事裁判で、証人尋問が行われた。


1番目は、産経新聞の渡辺浩記者。2番目が原告の藤岡会長。なお、つくる会元事務局員の土井郁磨氏は証言を拒否して姿を見せなかったため、2時間という枠をフルに使った刮目すべき証人尋問劇となった。 


 “藤岡先生の名誉を守る会”からは、20名近くが傍聴に集まり、直後の検討会にも参加、さまざまな感想や意見が寄せられた。それを要約すると「不信を増幅させた、渡辺記者の証言」となる。詳細を以下に記す。


(1) 水戸支局時代の渡辺記者と、つくる会茨城県支部


 産経の本社にもどるまえ、渡辺記者は、水戸支局に在勤していた。平成13年の(つくる会にとっては第1回めの)採択が行われた当時は、つくる会茨城県支部 の採択運動に深い関心と理解を示したが、途中、前茨城県支部長と衝突「今後茨城県支部は応援しない」と通告した。しかし、米川(現)事務局長の仲介で和解 したという経緯があった。


 さらに、本件訴訟の起因となった混乱の最中の平成18年春、電話での取材があり、茨城県支部が八木氏への強い不信感をもっていると知ると、途端に距離をおくようになった。


 こうした起伏の激しい過去を鑑みるに、有能な反面、自分の意に染まぬ相手には横柄かつ居丈高に振る舞う記者というのが、茨城県支部がいだく偽らざる実感である。




(2) 肩書き詐称で「出勤停止3日間」の処分


 尋問の冒頭、原告側代理人は、『別冊正論』平成19年11月発行号の論文に、地方部次長の渡辺記者が「産経新聞教科書取材班キャップ」という虚偽の肩書き を用いた件で、「出勤停止3日間」という社内処分を受けた事実を指摘し、教科書担当を何時外れたのか、その日付を質問した。


 だが、渡辺記者はまともには答えず、肩書きは「詐称」ではない、処分されたのは社内手続きを踏まなかったせいである。3日間の出勤停止は軽く、5日か7日であることにくらべれば短い、と反論、原告側弁護士を大声で怒鳴りつける場面があった。


 裁判長は渡辺記者に、「質問に答えるように」と指示した。しかし、日付については、最後まで明言しなかった。


 この原告側代理人の質問によって、第一に渡辺氏が社内の肩書きを平気で詐称する記者であり、第二に、「教科書取材班」という名称が自分の立場を誇示することを十分に意識している事実が明らかになった。




(3) 世紀の特ダネを逃がしながら、「ああ、そうか」の意味は?


 月刊誌『自由』に縷述の通り、本件訴訟の最大の争点は、八木氏が『SAPIO』と『諸君』で公言した「公安情報」なるものの真偽である。八木氏は、公安関 係の知人に確かめたところ、藤岡教授が共産党を離党したのは「平成13年」であることは間違いないと、つくる会を辞めた後も明言しつづけた。


 その数ヶ月前、つくる会が混乱の最中にあった平成18年3月、八木氏のいう「公安情報」を裏づけるかのような怪ファックスが、西尾名誉会長(当時)宅に何 通か送られていた。原告代理人が、渡辺記者に「その謀略情報を、あなたが最初に知ったのはいつですか?」と質問すると、「3月」とは答えたが、「見たの か、聞いたのか、覚えていません」という曖昧な答弁。


 「その時、どう思ったか」と質問すると、「ああ、そうなのかと思った」と答弁。
「それが、どういう意味か分かりましたか?」と質問すると、「党員として残っていたとしても、そんなものかな、と思った」といい、「知人とか社内とか、いろいろ流れていたから」と曖昧な答弁をくりかえした。


 知人や社内の同僚の名前を一人でも挙げるよう求めると、「いろいろだ」といってシラを切り通した。


「その情報の真偽を何故確かめなかったのか?」と質問すると、「別にそんな必要はない」と答弁。


 この原告側弁護士の質問は、つくる会の大多数の会員が切実に知りたいと願っている事件の核心をついている。


 藤岡先生は、つくる会を立ち上げた創始者の一人であり、「新しい歴史教科書」の中心的執筆者でもあった。
つくる会の屋台骨といってもいい人物が、もし共産党員であることを隠避して活動していたとしたら、つくる会運動そのものが壊滅してしまう大事件である。と同時に、共産党支配の恐怖を明るみに出せる、戦後史の一大スクープである。


 ところが、渡辺記者は「そんなものかな」と感じたに過ぎないという。もし言葉通りなら、ジャーナリストを名のる資格がない。ただちに新聞記者を辞めるべきだろう。


 我々が八木秀次元会長に感じている絶望も、根を一つにしている。つくる会運動の終焉に直結する恐るべき「公安情報」を(何者かから)入手したというなら、 真っ先に藤岡氏を呼びつけて事の真偽を問うのが、当然の責務のはずだ。そして、その弁明に納得がいかなければ、ただちに理事会を招集して査問する責務が あった。


 しかし八木氏は、情けないことに福地理事をひそかに呼び、こそこそと「公安情報」を耳打ちした。同じ「公安情報」を、西尾幹二先生にファックスで送り届けた者も存在したのは周知の通りである。


 では、新聞記者ならどう対応すべきであったか?


 教科書運動にとり、平成13年とは、どんな年だったかを思い起こしていただきたい。扶桑社版の「新しい歴史教科書」(初版)が文科省の検定を通り、その採 択をめぐって、日本中が揺れていた。つくる会本部事務所を過激派が放火未遂、栃木県では左翼の抗議で採択のやり直し、中韓両国の内政干渉が起き、それに媚 中媚韓の政治家が迎合するなど、左右両派が激突していた年だった。


 その初版の主要な著者だった藤岡氏が、もし「隠れ共産党員」であったなら、良きにつけ悪しきにつけ、これほど大きなスクープはない。生涯に一度あるかないかの大チャンスに遭遇し、胴震いが起こるほどの緊張感を覚えたはずである。


 ところが、「ああ、そうなのか」「そんなものかな」という程度の感想しか湧かなかったのだという。


 産経新聞の「教科書問題取材班」とはいっても、じつは渡辺記者一人で、専属の形で記事を発信しつづけていた、というのが実態だと聞く。産経の報道は、ひとえに渡辺記者の双肩にかかっていたのだから、責任が重大なのは付言するまでもない。


 「公安情報」に渡辺記者が初めて接したという平成18年3月といえば、その前月の2月に、藤岡教授が『正論大賞』を受賞したパーティが開かれた直後である。


 その受賞理由の一つに、住田社長は祝辞で、自虐の戦後史に楔を打ち込んだ教科書運動をあげていた。


 その大賞受賞者が、初版の当時に「隠れ共産党員」だったとして、もし他社がその事実をつかんで先に公表でもしたら、住田社長と産経新聞にとり、この上ない赤っ恥であり、社の浮沈にかかわる重篤な失態になりかねない。


 社長や会社への忠誠心があるなら、いや記者の良心からいっても、即座に情報の出所とその真偽を徹底的に洗うのが、ジャーナリストたる者のイロハだ。


 あるいは産経の記者として、正論大賞受賞者という点を慮かり、まずは住田社長に直に情報を上げ、密かに社としての対策を練るという法もあっただろう。もっ とも、受賞者を慮る気などなかったことは、それから9ヶ月後の12月、こともあろうにブログに書かれた事を理由に、藤岡氏を「名誉毀損罪」で東京地検に告 訴していることからも明らかではあるが……。


 しかし、渡辺記者は「そんなものかな」と思っただけだったという(!)。


 “藤岡先生の名誉を守る会”の総意として申し上げる。それなりにやり手だった水戸支局時代の活動からしても、記者としての感性が鈍ったせいではなく、初め から「ガセ」だと分かっていたから動かなかったのではないか。いや、このガセを社内に広めた者こそ渡辺記者だったのではないか。


 誤りだ、邪推だ、と仰るなら、「なぜ記者魂が働かなかったのか」につき、どうぞ、本欄なりご自分のブログなりで、きちんと反証していただきたい。


 「そんなものかな」という反応からは、ジャーナリストとしてのプライドや問題意識のかけらすら窺えない。そうした返答をすれば、内外から「記者失格!」の烙印を押されることすら予測できないとしたら、お気の毒としか言えない。




(4) 謝罪行脚についての弁解は、後出しジャンケンでは


 平成18年4月3日。「謀略情報」を西尾先生が暴露しはじめると、渡辺記者は、藤岡先生に面談を求めて池袋のホテルの喫茶室で会い、テーブルに額をこすり つけて謝罪した。さらに、西尾先生、高池理事にも謝罪し、東京支部の会員には菓子折持参で詫びに行った。この話は、渡辺記者が自己の非を認めた証として、 当時、東京支部内でまたたくうちに広まった。


 原告代理人が、その4月3日の夜に、渡辺記者が藤岡先生に送った「お詫びメール」のコピーを示すと、狼狽し、声を荒げて「これは私信だ、私は公開を許していない」と取り乱した。しかし、裁判長に、「これは証拠として大切なものだ」とたしなめられておとなしくなった。


 渡辺記者の「デマにひっかかって詫びた」という点について、原告代理人が質問すると、「藤岡さんが怒っていたから詫びた」といい、「いまから考えれば謝ることはなかったと思っている」と答弁した。


 卑怯で見苦しい後出しジャンケンでは、人は説得できない、ということが分かっていないようだ。




(5) 謀略情報は「マンガだった」という新しい証言の意味は?


 八木氏が、「渡辺記者は、怪文書を1通、いや2通つくって、これはいい出来だといって自画自賛していた」という話は、よく知られている。


 それについて渡辺記者は、「あれは、社に届いた多数のファックスのうち、西尾・藤岡両氏を揶揄したマンガが良くできていたので、それを参考のために八木氏に見せたのである」という
、初めて耳にする「新事実」を口にした。


 原告代理人が、「どんな図柄だったのですか」と質問すると、「覚えていない」という答弁(!)。


 何年か前、小林よしのり氏が西尾先生を黒いポチにして茶化したマンガなどは、私のような傘寿ちかい老人でも、忘れたくても忘れられない図柄である。なの に、争点の「謀略文書」は「ただのマンガだった」と答えながら、その内容は「忘れた」と仰る。子供騙しにもならない、まさに漫画チックな答弁である。


 「マンガ」といえば気楽な印象になるので、「公安情報」とのスリ換えに使ったと見られても仕方がない。


 鈴木現事務局長の陳述書には、渡辺氏の口から直に聞いた「渡辺氏が“八木・宮崎に謀略はやめろ”と言ったから、もう謀略はありません」という発言が記載されている。


 しかし渡辺記者はそれを全面的に否定し、「鈴木氏は嘘をついている」と主張したので、4月25日2時から、鈴木氏の証人尋問が行われることになった。必然的な流れである。


 渡辺記者の証言は、誰も納得させられない、かえって不信を増大させるものとなったことは疑いない。


 なお、藤岡先生への証人尋問については、次に紹介します。 



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    八木被告は謀略の中心人物であることが浮き彫りに

                              
 前回の公判報告(3月21日の本欄)につぐ「その2」として、原告代理人と藤岡証人の質疑を掲載します。

 既述のとおり、3月14日(金)午後2時30分より、つくる会の藤岡信勝現会長が、元会長の八木秀次氏を名誉毀損で訴えた民事裁判で、証人台に立った。

  一人目の産経新聞の渡辺浩記者につぐ、二人目の証言である、原告として宣誓のうえ、次のような答弁をした。

 その事実認識は、最新では月刊誌『自由・2月号』に詳しく、また過去にも雑誌・ご自身のブログ等に記載されているものと重なっているが、多くの方のご理解をあおぐため、簡潔を心がけつつ紹介する。


(1) 歴史教科書批判を開始した後『前衛』から激しい攻撃を受けた

 「平成13年離党」という「公安情報」なるものの虚妄を証明すべく、原告弁護士が「離党後の共産党の対応は?」と質問すると、藤岡先生は「雑誌に現行教 科書の自虐史観を批判する文章を書き始めた1994年(平成6年)以後、共産党の機関誌『前衛』から、猛烈な批判を受けつづけた」と答弁。

 これは、共産党側が、藤岡氏を「敵」と位置づけた証左である。

傍聴席からの補足

  八木氏への素朴な疑問がある。プロの文筆家なら、「公安情報」を第三者に触れまわる前に、なぜ自分の眼で、事実の裏付けをとらなかったのか? 『前衛』 の目次を調べるだけで、共産党の藤岡批判がいつから始まったか気づいたはずだ。調べなかった理由は、「公安情報」を作ったのは自分だったからではないの か。


(2) 怪文書の出現

 「公安情報」なる「怪文書の存在をいつ知ったのか」という質問には、「(2年前
の)平成18年3月24日昼頃、〈公安情報〉を信じこんだ西尾先生から詰問調の電話が入った。〈あなたには裏切られた。共産党と一緒に仕事をしたことになる〉と一方的にまくしたてられ、〈共著を絶版にしなければならない〉とまでいわれ、暗澹たる気持ちになった」と答弁。

 深夜に届いた「公安情報」ファックスにより、初めは藤岡先生を難詰した西尾先生だったが、藤岡先生の弁明をきいて、(西尾・藤岡の二人の離反を狙った)虚偽の情報に踊らされたことに気づくと、複数の怪ファックスが届いたいっさいの経過をブログで公開した。


(3) 
渡辺記者はなぜ藤岡先生に詫びたのか

 4月3日の朝、突然渡辺記者から藤岡先生に電話が入り、「ぜひお会いしたい」と
呼びだされた。

 午後5時に、池袋のメトロポリタンホテルの喫茶室で会うと、渡辺記者は憔悴しており、額をテーブルにこすりつけて詫び、「デマ情報に惑わされた。警察で公安情報を調べたところ、誤りだと分かった」といい、「腹を切ってお詫びしなければならない」とまで言った。

【傍聴席からの補足】

 西尾先生の〈犯人探し〉が始まると、〈つくる会内の内紛〉という話ではすまなく
なり、自分の首が飛ぶかもしれないと恐れた渡辺記者は、うちひしがれて沈静化に
走った。それが〈憔悴したお詫び〉行脚だろうと、「藤岡先生の名誉を守る会」に参
加している会員は、一貫して理解してきた。

 というのも、詫びた相手には、東京支部の2人の会員までいたからである。うち一人には、菓子折持参だった。
 記者の異様な行動と裏のいきさつをつぶさに見聞きしていた東京支部をはじめ4支部が、(渡辺記者を踊らせたのは八木氏だ)と確信し、八木氏の執行部体制の継続に強い反発と拭いがたい不信を抱いたのは、この渡辺記者の〈お詫び〉以後である。


(4) 「もう謀略のような汚いことはさせません」の意味は?

 ホテルの喫茶室で、藤岡先生が「私は汚いことはしていませんよ」というと、渡辺記者は強くうなずき、「もう謀略のような汚いことはさせませんから」と答えた。

 さらに、その日の夜、渡辺記者は再度メールで詫びた。

 今回そのメールの内容を、原告が証拠として提出したところ、前回(本欄3月21日)の報告のように、渡辺記者は「私信の公開は認めていない」とひどく狼狽した。

 3日後の4月6日に、藤岡先生が渡辺記者と会ったとき、藤岡先生が「謀略のような汚いことは止めようと誰に言ったのか」と訊くと、「八木、宮崎、新田に謀略はやめろと言っておきました」と答えた。

 じっさい、4月2日を最後に、西尾先生宅へのファックスはピタリと止んだ。

【傍聴席からの補足】

 2年前、八木派のブログや東京支部の掲示板等に頻繁に攪乱情報が書き込まれていたが、時間が経過することで、まことに明瞭になる事実がある。渡辺記者の謝罪以後、「怪ファックス」が一切消えたことだ。

 この渡辺記者の言葉こそが、八木氏らが謀略を働いていたという明白な証言だと、
私たちは確信する。


(5) 謝罪姿勢はわずか数日

 原告弁護士が「その謝罪姿勢はいつまで続いたのか?」と質問すると、藤岡先生は
「渡辺記者は社長から呼び出しをうけ、首がつながったとわかると、元に戻った。反省したのは、4月3日から数日だけだった」と答弁。

 「首がつながった」という証言の直後、傍聴席に移動していた渡辺記者が、アとかオとかいう声を発したのを、守る会の一員が聞いている。意味は不明である。


(6) 渡辺記者は八木氏から「5行の謀略文書」を見せられた

 藤岡先生が、八木氏から入手した「8行から成る公安情報」の履歴を渡辺記者に提示したところ、渡辺記者は首をひねって5本指をみせ、「八木氏から私が見せられたのは5行だった」と答えた。
鈴木事務局長は、藤岡氏と八木氏の分裂をなんとか回避させたいと努めていたた
め、一見鵺(ヌエ)的な動きに終始し、初めは東京支部から、八木氏が退会した後は八木氏サイドから、白眼視されていた。

 だが、4月30日の理事会で、初めて発言をもとめ、過去の事実を公表した。

 4月4日に渡辺記者と東京駅の喫茶店で会ったところ、渡辺氏は「謀略はいけません。謀略はいけません。謀略はもうなくなりますから」という台詞を口にした。鈴木氏が「なぜなくなると言えるのか」と訊くと、「八木・宮崎にそう言ったから」との返事だった。

 他方で鈴木氏は、事務局員だった土井氏が、西尾氏宅に怪文書のFAXを送ったことも、渡辺記者から聞いている。


(7)八木氏の痛恨のミス

 鈴木事務局長が、藤岡先生がつくる会の会長になるのではないかと恐れていた八木氏に対し、「藤岡先生は、このファックスの文言を見ても分かる通り、会長になる気はないのですよ」と、西尾・藤岡両氏の間でかわされたファックスのコピーを手渡した。

 そのさい鈴木氏は、目だたない印を付けたうえで、「このコピーを貴方が使うと、
すぐにばれるから絶対に使っては駄目ですよ」と念を押した。

 だが、その〈西尾・藤岡間ファックス文書〉は、すぐに西尾氏宅に送られた。

 「貴方しか持っていないその文書を、誰が、どうやって西尾先生にファックスできたのか?」という理事会での鈴木質問に、八木氏は答えられずに沈黙して退室し、他の5人の理事らとともに退会した。

 この最も肝心な一事を、まったく説明できなかった八木氏を、東京・西東京・茨城の三支部は(のちに群馬支部も加わって)、声を大にして批判したのである。八木氏の犯罪に等しい反道徳的行為は、いまだに反証がなされていない。

 被告として大反撃できるはずの法廷にも、姿を見せる気配がない。


(8) 渡辺記者が怪文書作成に噛んでいたという歴然たる根拠

 原告代理人が「舩山謙次ファックス」について質問すると、藤岡先生はきっぱりと「渡辺記者以外考えられない」と断定した。また添付文のゴチック体は、渡辺記者が従前に使っていたものと同一で、照合すれば合致するはず、と言い切った。


【傍聴席からの補足】

 「舩山謙次ファックス」とは、西尾先生宅に届いた藤岡先生の義父「舩山謙次」氏の情報をさす。赤旗の記事をコピーしたもので、元北海道教育大学長の舩山氏 が、共産党を応援しているという記事を明示し、藤岡氏が隠れ共産党員であるという印象を強めようと狙った文書である。これが西尾氏宅に送信された。

 国会議員の選挙前に、共産党を支持すると宣言する文化人は、珍しくない。松本清張・佐野洋・森村誠一氏などは、大新聞等のアンケートに過去堂々と名のり をあげている。そうした大手新聞の記事は、各社が自ら検索システムを構築しており、一般人でもその掲載記事にたどりつける。

 だが、赤旗という政党機関誌の検索システムは、新聞社にしかなく、その記事を
引っ張ってこられるのは、渡辺記者のような新聞社内の人間にしかできない、と藤岡先生は断定したのである。


(9) 共産党離党の年次に、執拗に拘った被告代理人

 つづいて被告代理人が藤岡証人に質問したが、共産党を離党したというなら、その証拠の文書が何故存在しないのかを、執拗に聞いた。藤岡先生がアメリカ留 学前には、慣例に則り「ひとまず離党し」、帰国後に共産党と正式に訣別したのは、ご自身があちこちで語られていることである。藤岡先生は、共産党内ではな るべく文書は作らないようになっていた経過を詳しく説明した。

 だが、被告弁護士は、東大支部の支部長に「口頭で離党を告げた」ということがどうにも不可解らしく、「離党届は無いのか」など、くりかえし質問した。 「平成13年までは共産党員だった」という心証を形成したかったようだが、八木氏が「公安の友人」なる人物の名前をあげられない限り、真実性の証明はでき ない。ほとんど意味のない質問だと感じられた。

 次回の公判は、4月25日(金)午後2時から3時までと決まりました。

 渡辺記者が、原告とその証人が提出した発言は、すべてウソだと主張するに等しい証言をしたために、鈴木事務局長の証人尋問をする必要性が認められたのです。



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    八木被告、裁判所から「呼び出し」を受ける

 藤岡先生が八木秀次氏を名誉毀損で民事提訴している裁判が、4月25日(金)午後2時より、東京地裁で開かれました。

 三番目の証人として、つくる会の鈴木尚之事務局長が証言しました。2年前の八木氏一派との息づまる応酬を、公開の場で改めて耳にすると、つくる会が、如何に危機的状況にあったかが分かり、慄然とせざるをえませんでした。

 詳細については、従来通り本欄で報告してまいりますが、次回の公判は、6月6日(金)午後1時30分から、八木氏に対し証人尋問を行うことに決定しました。

 鈴木証言で述べられた事実関係について、裁判所は、(1) 八木氏は謀略文書の作成にどう関わったのか (2) (八木氏の命取りになった)所謂〈西尾・藤岡往復書簡〉について、被告人から訊きたいとの意向でした。
 ところが、驚いたことに、八木氏の代理人(弁護士)は、「本人の考えが分からないので〈呼び出し〉にしてください」と裁判長に頼んだそうです。

 証言には、今回の鈴木証人のように、原告または被告と同道して証言台に立つ「同行」と、消極的な証人に半強制的に証言を求める「呼び出し」との2通りがあるそうです。被告代理人が「呼び出し」を求めたということは、被告と代理人とが協同していないとも推定されます。

 以前から八木氏の代理人は、「呼び出しても出廷しないかもしれない」などと言っていたようです。八木氏の〈逃げの姿勢〉が、これほどまで明らかになると、そういう人物を〈会長〉として担いでいたことに、忸怩たる想いが深まるばかりです。



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    〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告ーー鈴木尚之氏の証言(その1)
守る会の川又和敏です

(1)「八木被告=謀略の主体」を示す動かぬ証拠

      
 4月25日の法廷に証人として出廷した、つくる会の鈴木尚之事務局長の証言を数回にわけて報告する。

 まず原告側の弁護人が「(つくる会が混迷していた当時)あなたはどういうスタンスだったのか」と訊いた。鈴木証人は「八木さんも藤岡さんも両方、会にとって大切な人だから、双方が争いをやめるべきだという立場でした」と返答した。

 次に弁護人は甲20号証(甲は原告側を指す)の〈西尾・藤岡往復書簡〉を証人に示して、この文書との関わりを、順次質問していった。

 この〈西尾・藤岡往復書簡〉は、八木氏が紛れもなく謀略の主体であったことを示す、命取りとなった物証である。鈴木証言で明らかになったのは、次のような経過である。

 2年前の混迷時の2月2日夜、鈴木氏の発案で、西尾先生の自宅に近い荻窪駅近くの飲食店で、西尾・藤岡・八木・鈴木の四者の会合がもたれた。鈴木氏は、八木ー藤岡関係を修復し、会がまとまることを願って、この会合を急遽提案したという。

 西尾先生は、その翌日の2月3日、前夜の会合での藤岡先生の八木氏に対する宥和的な態度を批判し、会の覇権を握るようにと扇動するEメールを送った。そ のメールを藤岡先生はコピーし、行間に手書きで、私はそのような意思はないとの反論を書き加えて、西尾先生にファックスで送り返した。

 そのあとで藤岡先生は、その同じコピーを鈴木氏にもファックスし、さらに電話をかけて「西尾さんとこういうやりとりがあった。鈴木さんのことも書いてあるので、不快かもしれないが送ったから、読み終わったら破り捨ててほしい」といった。

 藤岡先生は、西尾先生とのやりとりの文書を、八木氏との宥和路線を説いていた鈴木氏に渡すことで、会長ポストにこだわって対立しているのではないと、自分の立場を明らかにしたのだという。
このことがあってから2ヶ月近くたった3月24日、鈴木氏は種子島会長(当時)の指示で、問題の〈藤岡党歴文書〉を八木氏から入手したが、そのさい思い立って上記の〈西尾・藤岡往復書簡〉を八木氏に渡した。

 その動機は、八木氏が、藤岡先生が会長の座を狙っていると恐れていたので、藤岡先生は本当に会長になるつもりなどないことを八木氏に示して、安心させようとしたのだと証言した。

 原告側弁護人が「そのとき、何か被告に釘を刺さなかったんですか」と訊くと、「これは西尾先生と藤岡先生の私信だし、藤岡先生にも断っていないから、絶 対に他人には見せないようにと言いました。すると八木さんは、絶対に外に出さないと約束してくれました」と鈴木氏は返答した。

 弁護人が「ところが、それが外部に出たというのを、何処で知りましたか」と訊くと、「4月上旬に、西尾先生のブログで見ました」と返答した。

 鈴木氏はすぐに八木氏に電話して「誰にも見せないと約束したが、本当に見せてないのか」と念を押すと、八木氏は「4つに畳んで家に置いてある。外には出していない」と答えた。

 しかし実際には、八木氏は鈴木氏からもらった〈西尾・藤岡往復書簡〉を、約束を破って西尾宅へ送る脅迫目的のファックス文書として使っていたのである。

 いったい、どうして、そう断定できるのか?

 西尾先生から藤岡先生に宛てたEメールの中に、西尾先生が混迷の構図を「八木コントラ藤岡の闘争」と書いたのに対し、藤岡先生が反論して「宮崎・4人組・八木の行動に良識派が怒っているというのが事実です」と手書きで書き込んだ部分があった。

 その〈宮崎・4人組・八木〉という表記を、鈴木氏は、(八木氏は後から宮崎グループに加わった)という事実経過をふまえて、〈宮崎・4人組+八木〉と中黒ポッチ「・」を「+」に書き変えた。その時点では、八木氏は宮崎グループにひきずられているが、全くの一体ではなく、事実関係について正確を期すという思いがあったという。

 ただ、これによって、+印の付いた〈西尾・藤岡往復書簡〉は、地球上でこれ一通のみとなった。前述の通り、3月24日午後、鈴木氏は種子島会長(当時) から電話で指示を受け、八木氏と会って「藤岡平成13年離党」の記載のある文書を入手し、そのときふと思いついて、藤岡先生自身がつくる会の会長になるつ もりはないと行間に手書きしてあった〈西尾・藤岡往復書簡〉を八木氏に手渡したのだった。

 ところが4月初旬になって、西尾先生宅に、差出人不明の怪文書が、確認されたものだけでも6通送られていたことが判明した。そのうち3月31日4月1 日の二度にわたって送られたものが、まさに地球上で八木氏しか持っていない、+印つきの〈西尾・藤岡往復書簡〉だったのである。

【傍聴席からの補足】

(ア)目的は「つくる会」の乗っ取り

 以上の事実こそが、八木氏が謀略に関わったという紛れもない証拠である。

 八木氏は、4月30日の理事会で、鈴木氏から、その経過を説明するよう求められたが、いっさい釈明できないまま退席し、退会したのだった。

 3月28日の理事会で、八木氏は7月の総会で再度会長に復帰するという路線が、暗黙という含みで決定されていた。なのに、八木氏はなぜ「謀略」というおぞましい禁じ手を使ったのか。

 西尾・藤岡間の私的な詳細までつかんでいるのだぞという文書を示すことで、西尾先生を恐怖に陥れ、藤岡先生への不信をつのらせて離反させ、藤岡先生をつ くる会から追放するというのが目的だった。つまり藤岡先生を追い出すことによって、つくる会の完全な乗っ取りを図るために謀略という手を使ったのである。

 藤岡先生の党歴偽造による信用失墜を執拗に企んだ理由もそこにある。2年という時間経過をへて、すべてが明瞭に見えてきたいま、私たちはそう確信する。

(イ)謀略という破廉恥罪

 南木さんが本欄を「つくる会全国区」として開設していたころ、つくる会の混迷を単なる勢力争いと見た方々から、藤岡新執行部と4支部の八木氏への対決姿 勢を批判する論者が何人か現れた。保守派の団結のためには、八木氏が立ちあげた教育再生機構と小異を捨てて大同につけという、一見尤もらしいご意見であ る。

 中には、事ごとに藤岡先生の揚げ足をとったり、根拠もなく藤岡先生は「会長の器ではない」と罵倒したり、新しい教科書会社など見つかるはずがない、などと大胆な予言をなさる方もおられた。

 私たちが、そのご意見を承服出来なかったのは、早くに八木氏らの謀略の異様さと反道徳性に気づいていたからである。

 くり返すが、〈西尾・藤岡往復書簡〉の八木氏の手元にしかないバージョンが、西尾先生を威迫するための手段に使われたのだ。これこそが八木氏が謀略に関わったという疑いようのない証拠である。鈴木氏は、そうきっぱりと証言したのである。

 つくる会の創設者の一人であり、長年多大な貢献をされた保守言論界の重鎮西尾先生に対してなされた、八木氏一派の匿名による脅迫行為は信じられないほど卑劣であり、誰が何と弁護しようと、断じて許されないものである。

 当時、つくる会の副会長だった福田逸教授は、宮崎事務局長の処遇に反対する新田理事らが連名で理事会に出した抗議文書に対し、「保守言論人たる者は、一人の名にて行動すべきである」と漏らされている。「百万人と雖も我行かん」という武士の気概を求めてのことだ。

 それが、匿名で、深夜、6通ものファックスを送りつけるとは、いったい、どんな神経の持ち主なのか。保守言論人であることを考えると、「脅迫罪」などよ りもっと罪状の重い「破廉恥罪」というしかない。私たちが、この訴訟を「反道徳訴訟」と命名しているのは、その故である。


 
   鈴木尚之氏の証言(その2)


(2)八木被告、「公安情報」で鈴木証人の忠告を無視


 原告側弁護人が、3月24日の午後、鈴木氏が八木氏に会った時、〈西尾・藤岡往復書簡〉のコピーを渡すのと引き換えに「そのとき何か文書を受けとりましたか」と訊いた。鈴木証人は「はい。〈藤岡平成13年離党〉の文書をもらいました」と返答した。

 以下、やりとりによって明らかになった経過である。

 鈴木氏は、八木氏と藤岡先生の宥和を図っていた立場なので、つねに「大人の常識」を判断基準においていたようだ。〈公安調査庁データ発言〉を、八木氏か ら初めて聞かされたときは、「そんな不確実で第三者に証明できないようなことを絶対に言ってはなりませんよ」と釘を刺している。

 その後も八木氏に、「何で公安調査庁云々などと言ったのか。あれは完全なデマですよ」と言うと、八木氏は「公安調査庁のデータが違っているのかも……。公安調査庁に確かめてもらえばいい」と答えている。

 それに対し鈴木氏は、非常に重大な忠告をしている。
「これは、そんなに甘い問題ではない。本当に公安調査庁がそんなことを言ったとするなら、まず初めに藤岡さんにそのことを伝えるべきではないですか。藤岡 さんに黙っていて、よその人にそのことを言いふらすというのは、悪意があるということになるじゃないですか。この問題の処理を誤れば、あなたは保守派言論 人としての生命を失うことになりかねませんよ」と言うと、八木氏は「そんなに重大かなぁ」などと言って取り合おうとしなかったという。

【傍聴席からの補足】

こそこそ触れまわったことこそ「謀略」の証拠

 
八木氏が、もし仮りに「公安調査庁データ」なるものを何者かから入手したのだとしたら、つくる会の理事として、真っ先に取り組むべきは、真相の究明と問題の解決だった。

 「公安調査庁データ」が意味するところは、〈藤岡は共産党員のまま平成13年の採択に出した扶桑社版の歴史教科書づくりをしたぞ〉という驚くべき告発な のである。もし真実なら、つくる会もその教科書も、根底から世間一般の信頼を失い、運動の終焉に直結する恐るべき「公安情報」だった。

 また八木氏は会の混迷の責任をとわれ、半月ほど前の2月28日の理事会で、会長を解任されている。同じ理由で藤岡先生も同時に副会長を解任され、ともに一理事にもどっていた。

 もし「公安調査庁データ」が本物なら、八木氏は圧倒的に有利な〈切り札〉を握ったことになる。ライバルの藤岡理事を、つくる会から堂々と永久追放してしまえるし、会員にも社会に対しても、そうすべき責務があった。

 あえて武士道や日本男児などを持ち出さなくても、社会への責任を自覚している人が、もし仮にそんな文書を入手した場合、何を措いても藤岡氏を呼びつけ、 裏切られた事への怒りとともに真偽を糾すのが常識だ。そして、その弁明に納得がいかなければ、ただちに理事会を招集して査問し、恥ずべきスパイ行為を働い たとして除名する義務があった。


 
だが、こそこそと触れまわっただけだった……!

 そ
の男らしさとはほど遠い行動を、経験豊かな年長者の鈴木氏が注意すると、「そんなに重大かなぁ」と答えたという。

 「公安」関係という国家機関の名を安易に口にした緊張感の無さ、藤岡信勝という保守派知識人の言論生命を断つことの重大さ、事の深刻さを認識しない判断力の欠如には、開いた口が塞がらない。

 年齢からすると、八木氏はゲーム育ち世代の走りかもしれないが、立場上絶対に許されない、やってはいけないことに手を染めたことで、その人格の軽薄さを露呈したのである。


  鈴木尚之氏の証言(その3)


(3)藤岡先生の義父や妻の名を使った怪文書の目的

 西尾先生宅に送りつけられたファックスには、極めて特殊な内容のものが含まれていた。舩山謙次という元北海道教育大学長が、国政選挙で共産党候補を推薦する大勢の支持者の中に名を連ねていた『赤旗』のコピーである。

 すでに4月21日の本欄で紹介したように、舩山氏は藤岡先生の義父であり、そういう政党機関誌の古い紙面を検索システムから引き出せるとしたら、産経の渡辺浩記者以外考えられないと、藤岡先生が証言台で断定された記事のことだ。

 原告代理人が「甲21の怪文書には、《藤岡は〈私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した〉と証拠資料を配りました。代々木党員問題はうまく逃げまし たが、妻は党員でしょう》とあります。それと『赤旗』のコピーです。それらを見せられた時、藤岡先生の反応はどうでした?」と訊くと、鈴木証人は「奥さん のお父さんまで名を出されたことで、大変ショックを受けたのを記憶しています」と返答した。

 原告代理人が「この怪文書(赤旗コピー)を出した人間と、さきほどの甲21の怪文書を出した人物は、同一人物でしょうか」と訊くと、鈴木証人は「同一人物か同一グループだと思います」と返答した。

【傍聴席からの補足】

 「藤岡は隠れ共産党員では」という疑念を西尾先生に植え付けようとした八木氏らのやり口は、実に念の入ったものだった。すでに紹介した通り、6通の怪文 書は三つに分類できる。

 (1)は西尾・藤岡両氏の離反を狙ったもので、+印つき〈西尾・藤岡往復書簡〉を指す。藤岡先生は西尾先生を裏切り、そうした事実 は反対派にも筒抜けだぞと伝えている。     
 (2)は共産党履歴の「公安調査庁」文書で、西尾先生に藤岡は隠れ共産党員だったと信じさせようとしている。 
 (3) は(2)を補強するために使われた赤旗コピーで、義父や妻まで共産党員だと書き込みをしている。 

 八木氏らは、西尾先生が1月16日の理事会で、「名誉会長には発言権がないはずだ」とぶつけたら、怒って辞任してしまった。それで御しやすいと判断したのだろうか。

 だが、西尾先生は月刊誌『WILL』5月号・6月号の売り切れにひと役買うような、剛直な知識人で人脈も広い方だ。冷静さを取り戻せば、反撃を開始するに決まっている。

 そのため、3月半ばごろにスタートさせた「謀略」作戦は、半月後には破綻し、渡辺記者は謝罪行脚を始めざるをえなかった。八木氏は、藤岡先生を追い出し て、つくる会の完全乗っ取りを企んだはずが、自ら退会せざるをえない羽目になったとは、人を見る目がないとしかいえない。


(4)渡辺記者は「謀略」加担を認めていた!

 本欄掲載の3月21日分と4月21日分にも書いたが、産経の渡辺浩記者の謝罪は、鈴木証人に対しても行われていた。

 原告代理人が、その経過を訊くと、鈴木証人は「4月2日夜、渡辺記者から電話があり、丸の内の喫茶店で4月4日に会った。会ったとたん〈鈴木さん、申し 訳ありませんでした〉と突然テーブルに頭をこすりつけ、〈とにかく謀略はいけません。謀略はいけません〉と謝罪し、〈もう謀略はありませんから〉と言っ た。私には意味が分からず、〈何で謀略が無くなるの〉と訊いたら、〈八木・宮崎にもう謀略は止めようと言ったので、もう謀略はありませんから〉と答えた」 と返答した。

 原告代理人が「どんな様子でしたか」と訊くと、鈴木証人は「産経新聞を首になるのを恐れていました。あまり真っ青だったので、逆に心配したぐらいです」と返答した。

 原告代理人が、謀略に関わったのは誰と思うかと訊くと、鈴木証人は「八木・宮崎・渡辺だと思います」と返答した。

 原告代理人が「渡辺記者は、原告にも同じ事をいっていたのですが、そのことは原告から聞きましたか」と訊くと、鈴木証人は「藤岡先生には〈八木・宮崎・新田〉と言っているが、私には〈八木・宮崎〉でした」と返答した。

【傍聴席からの補足】

 渡辺記者は、藤岡先生や鈴木氏に詫びたさい「もう謀略はありませんから」と言ったが、その言葉通り4月2日以後は、怪文書の流布はピタリと止んでいる。

 何をか況わんや、というしかない。渡辺記者が口にした〈八木・宮崎〉等の人たちと、渡辺記者がどう役割分担したかは知る由もないが、「止めさせる」ことができる関係にあったことは、渡辺記者自身が立証して見せたわけだ。


   鈴木尚之氏の証言(その4)

(5)追いつめられた八木氏は開き直った
 
 原告代理人が「それで、あなたはどうしました」と訊くと、鈴木証人は、「その翌日の4月5日に八木氏に会ったさい、〈産経の渡辺記者が、藤岡さんに話した ことと同じことを私にも言っているのだから、これはもう重大なことですよ。最悪なことを考えて対処しないと、大変なことになりますよ〉と忠告した。すると 八木氏は〈渡辺君は何を言ってるんだ。謀略文書を作ったのは自分のくせに……。彼は1通、いや2通つくった。これは出来がいいとかいってニヤニヤしていた んだから……〉とつぶやきました」と返答した。

 原告代理人が「あなたは平成18年4月30日のつくる会の理事会で、いま証言された内容を話しましたね」と訊くと、鈴木証人は「はい」と返答した。

 原告代理人が「それはテープに記録が残っているのですが、被告はあなたの話を否定しましたか」と訊くと、鈴木証人は「八木氏は〈もし私を支持する人が謀略をやったというなら、それはそうかもしれません〉と言いました」と返答した。


(6)証言拒否の土井郁麿氏はファックスの送信役だった

 原告代理人が「あなたは、謀略文書をファックス送信した実行犯が誰であるかということを聞いたことがありますね」と訊くと、鈴木証人は「はい、つくる会 事務局の的場大輔君が〈土井君が事務局近くのコンビニから送っているんだから、ばれちゃうよな〉と笑いながら言うのを聞きました。また渡辺記者も〈土井君 が送ってるんだ〉と言ってました」と返答した。

 原告代理人が「あなたは、じっさいに確かめたそうですね」と訊くと、鈴木証人は「はい、事務局の近くにある4ヶ所のコンビニから送ってみました。その結 果、西尾先生宅に送られたファックスは、欄外の記載から〈ローソン〉か〈ampm〉のどちらかからだと見当がつきました」と返答し、「八木さんから〈共産 党履歴〉文書をもらったあと、土井君に君も持っているのかと訊くと、〈他のとちよっと違うんだけど〉と渡されました」と続けた。

 原告代理人が「その土井氏は証人として出頭することを拒否しましたね」と訊くと、鈴木証人は「土井は事務局では私の隣の席にいたが、小心な人物でした。八木氏を庇いきれないので、出頭を拒否したのだと思います」と返答し、証言が終わった。

 このあと、被告代理人から鈴木証人に質問があった。西村代議士の事件との関連などを取り上げ、鈴木発言の信頼性を低めようとの狙いだったが、ピント外れなので省略する。

傍聴席からの補足

(ア)土井郁麿氏への疑問

 元つくる会事務局員の土井郁麿氏は、いまは八木氏の教育再生機構の事務局で働いている。

 そのせいか、土井氏は、前回の法廷で証人としての出頭を拒否した。その理由書には「藤岡原告と八木被告には弁護人が付いているが、自分には付いていず、権利が保障されない」と記述していた。

 土井氏の言う「権利」とは何だろう? 証人は自分が見聞きしたことを正直に話し、法廷での真相究明に協力すれば良いだけの立場である。弁護士を必要とするような、つまりは偽証罪に問われかねない、後ろ暗い秘密でも抱えているのだろうか? 

 会長だった八木氏に付いて中国に渡り、中国社会科学院との対論にまで参加した2年前の男気は、どこに消えてしまったのか? 

 さらに、服薬している薬品名をあげて、精神的に不安定な病状にあることも、拒否の理由としていた。

 病状について云々する気はないが、的場・渡辺両氏からファックス送信担当役だったと明確に名指しされたのである。一時期はつくる会の会合等で、理想のために共に立ち働いた同憂の士でもあったのだから、証言台に立って「真実」を明かしてほしかった。残念である。

(イ)八木氏よ、損害を補填せよ!

 私たち一般会員が、鈴木証人が混迷の最中でどのように行動し、八木氏にどう対応していたかを初めて知ったのは、7月の総会の時だった。

 当時の私たちの目には、鈴木氏は八木氏を無意味に庇っているとしか思えず、そのどっちつかずと見える態度に、相当イライラさせられていた。

 しかし、渡辺記者から謝罪された翌日の4月5日には、「重大なことになる」と八木氏に警告していたという。鈴木証人は早々に事件の裏と核心を見抜いていたわけだ。常識ある大人として、八木氏の立場を本当に心配していたことも分かる。

 それに対する八木氏の返事は、まともな社会人のものではない。

 だが、藤岡先生よりは八木氏に近いと見られていた鈴木証人の口を通して語られた事実は、いま振り返ると、まことに重いものがある。それによって浮かび上がった謀略の筋書きも、今回の証言でさらにハッキリした。

 八木氏らは間違いなく「謀略」に手を出したのである。だが西尾先生や藤岡先生の反撃がはじまると、たちまち窮地に追いこまれて狼狽した。まず渡辺記者が 自己保身から謝罪行脚をし、八木氏は怪文書を作ったのは渡辺記者だと暴露しつつ責任の転嫁をはかった。自派のブログや東京支部の掲示板、藤岡先生のブログ 等に、散々つくる会内部の悪口雑言がばらまかれたのも、「謀略」の印象を薄める狙いだったのだと分かる。

 むろん「謀略」に加担した仲間うちでは、それぞれに言い分があるかも知れない、私たちに言わせれば五十歩百歩、同じ穴の狢(ムジナ)でしかない。また、半月で瓦解したような子供じみた幼稚な「謀略ごっこ」でもあった。

 だが、その陰湿な破廉恥行為が、私たちの〈新しい歴史教科書をつくる会〉に与えた被害の大きさを考えると、子供の遊びではすまされない。会員数の大幅な減少と、損なわれた信頼を回復するのは、容易ではないからだ。

 『新しい歴史教科書』については、自由社から出すことになったが、それはつくる会の自助努力の成果である。

 私たち〈藤岡信勝先生の名誉を守る会〉としては、既に東京地検に告発している刑事事件捜査の一層の推進も視野に置いて、以後もより強固かつ着実に損害の補填を求めていくことを、本稿で再確認しておきたい。

 八木氏は、はたして証人として「呼び出し」に応じるのだろうか?
 このまま沈黙を守って、いっさいを忘却の彼方に沈め去りたいと願っているとしたら、大間違いだというしかない。公立大の憲法学の教授であり、フジテレビ の番組審議委員であり、月刊誌の巻頭エッセイの執筆者なのだ。公人として堂々と法廷に出て、きっぱりと身の潔白を証明してみせるべきだろう。 

 次回6月6日の八木氏への尋問で、すべてが明らかになることを期待する。



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    〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
      守る会 茨城県支部の  川又和敏です


八木秀次被告の証言(その1)

 6月6日、八木秀次被告の本人尋問が行われた。出廷しないのではという観測も一部にあったが、この名誉毀損訴訟の原告・藤岡先生は「八木氏は必ず出てく る」と予想しておられた由で、その通りになった。午後1時30分の開廷直前3分前に、被告側弁護士と共に法廷に現れた八木被告は、緊張した様子で証人席に ついた。傍聴席は40人ほどの席が埋まっていた。

 なお、今回の質問と返答は、相当長くなるので、原告側弁護士の質問を「問」で、被告の返事を「八木」とし、氏名の敬称は原則として省略させてもらった。

 八木氏の答弁が、周到に準備されたものであることは明らかだった。都合の悪いことや自己に不利になりそうな質問には、「記憶がない」という、ロッキード事件の証人なみの言葉をくり返して曖昧化をはかった。

 しかし、お読みいただければ分かるが、八木氏は、いくつもの矛盾を説明しきれなかった。瞠目すべきは、彼が、他人との約束を自分の判断で一方的に踏みに じっても良いという価値観の持ち主であることを、公然と披瀝したことだ。相手が信用できなくなった(と自分が判断した)ら、約束は一方的に反古にしてよい こと、またその相手から約束を破ってませんよねと念を押されても、してませんよ、と平然と嘘を重ねることに何の抵抗感もないことを、公言したのである。

 訴訟の場で言い逃れたいばかりに、保守評論家としての資格を放擲する危険性については、八木氏はまるで予測しなかったようだ。

(1)【平成13年日共離党情報の入手経路】 

(甲1号証及び甲26号証の「怪文書」〈党歴に関する2種類の公安情報〉を示し)見たことがありますか。
八木 はい。甲26は西尾幹二氏宅に送られたもので、甲1は、平成18年の3月下旬ごろに、つくる会の事務局にいた鈴木尚之氏あてに、私が自宅からファックスで送ったものです。
よくご存知ですが、どうして西尾宅に送られたと知っているんですか。
八木 西尾氏が18年4月にインターネット上で、この件についていろいろ騒ぎ始めて、わかりました。
鈴木氏に送った「怪文書」を、どうして入手したんですか。
八木 平成18年の3月中旬ごろ、私の自宅にファックスで送られてきたものです。
差出人は?
八木 差出人はありません。欄外にも、何も書いてありません。
原告は,産経新聞の渡辺記者から告白を受けた話として,渡辺があなたから5行からなる日共離党情報なる書類を見せられたというふうに言っているが,そういう事実はありますか。
八木 いや、私は知りません。
そういう事実は、一切ないんですか。
八木 はい。
あなたが雑誌等で盛んに述べている、公安関係者から確認したという、藤岡平成13年日共離党という情報、これは渡辺記者にも伝えたんですか。
八木 いえ。当時、私は、渡辺氏とそれほど親しい関係にありませんので、伝えたという事実自体が想定できません。
そういうことは伝えていないというんですか。
八木 ええ。その記憶はございません。。


【傍聴席からの補足】


 本件は、原告の藤岡信勝氏が平成13年まで日本共産党員だったという「公安情報」を、八木氏が先ず理事らに流し、ついで『諸君!』と『SAPIO』に発表したことによって原告の名誉が毀損されたという民事訴訟である。

 そこで原告側代理人が冒頭に、「公安情報」の入手経路を確かめたところ、「何者かから自宅に送られてきたファックス」だと被告は答えた。

 それを産経新聞の渡辺浩記者に伝えたのでは、と質問すると、いいえ、と否定し、その理由として「渡辺氏とそれほど親しい関係にありません」と述べた。

 「え?」と我々は耳を疑った。親しくもない二人が、なぜあんなに緊密な連携プレイを演じたのか。

 つくる会情報、ことに理事会での議事について、平成18年2月末から、渡辺浩記者は驚くべき捏造記事を連発した。その穿った情報の出所は、八木氏とその周辺以外に考えられなかったことは、つくる会として公表した多数の抗議文等で、広く言及している通りである。

 だからこそ渡辺浩記者は、西尾先生の怪文書開示がはじまると、慌てふためいて「謀略はいけません」と謝罪行脚を開始し、18年4月6日には原告の藤岡先生に、八木氏から見せられた「公安情報」は「5行」だったと答えたのだ。

 また「それほど親しくない」はずだった渡辺記者が、新聞社に送られてきたファックスのうち、西尾氏を揶揄した「マンガ」を八木氏の元に送ったと自ら証言している。

 つくる会の創始者を侮辱する文書を送信しあっていた二人が親しくないという弁解を、誰が信じるだろう。親しくない同士なのに、保守言論界の重鎮である西 尾先生を嘲弄する情報をやりとりしていたとしたら、八木氏も渡辺氏も、非常に不気味な歪んだ性格の持ち主ということになる。

 お解りと思う。「親しい」と認めてしまうと、「怪文書」による謀略は、八木氏が中心となってしかけたとする原告側の主張が、ますます信憑性を高めるので、関係性を薄めようとした嘘にすぎない。

藤岡先生を守る会 法廷報告八木証言(その2)


〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
              守る会 茨城県支部の川又和敏です

八木秀次被告の証言(その2)


(2)【公安関係者とは誰か


甲2号証(『諸君!』の記事)を示し、あなたは念のためと思って公安関係者に問い合わせてみた。しばらくして「確かにうちのデータではそうなっていますねと返事があった」と。
八木 その前の文章を読み落としていただくと(ママ)、これは困るわけでございます。その文書は私のところにも3月中旬辺りには来ていた』という文脈を受けまして、それで『念のためと思って知り合いの』ということになっております。
八木 その前の文章を読み落としていただくと(ママ)、これは困るわけでございます。その文書は私のところにも3月中旬辺りには来ていた』という文脈を受けまして、それで『念のためと思って知り合いの』ということになっております。
じゃ、この公安関係者とはだれですか。
八木 私は、仕事柄、さまざまな情報ルートがありますので、お答えは控えさせていただきます。
名前は言いたくないということですね。
八木 情報源を明らかにすることは、私の職業上支障があるので、答えられません。 
その人物が「うちのデータでは」と言ったんですか。
八木 「確かにうちのデータではそうなっている」という返事があったということは、ここに書いてある通りです。
口頭であったということですか。
八木 どのような方法であるかを含めて、情報源の問題になりますので、答は控えます。
他に誰に話をしましたか。
八木 ちょうど当時は会長を解任されて、呆然とした日々が続いていることもありまして、はっきり覚えてはいません。
私が尋ねているのは、誰ですかということですが。
八木 新田均さんと宮崎正治さんにはお話しをしたんじゃないかなという記憶はあります。


【傍聴席からの補足】

 八木氏は、まことに奇異な、法律家らしからぬ主張を展開した。公安関係者が正しいと保証を与えた情報については、言いふらしたり雑誌で書いたりしても、 免責される。しかもその「情報源を明らかにすることは、私の職業上支障があるので、答えられません」と、ジャーナリストなみの守秘義務を楯にしたのだ。

 もし八木氏の主張が認められるなら、今後はあらゆる文筆家が「公安のデータではそうなっている」と枕詞を振れば、誹謗中傷を好き勝手に書き散らしても良 い事になってしまう。そんな判例などないし、名誉毀損罪も不必要になる。憲法学者が法秩序の破壊を認めろと言うに等しい。

 八木氏は、「公安」という国家機関の名を借りて情報の信頼度を高めておきながら、その「出所」の名は言えないと平然とうそぶいてみせた。論理性と公平さを欠く点で詭弁であり、ぬけぬけと主張する点で厚顔無恥と言うしかない。

 いずれにせよ、八木氏は、名誉毀損訴訟で決め手となる「真実性」の証明を放棄したのだから、敗訴は免れないことになろう。


〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
      守る会 茨城県支部の  川又和敏です


八木秀次被告の証言(その3)

(3)  【福地理事の対応とは雲泥の差
 
平成18年3月20日に、事務局長を解任された宮崎氏を伴って、福地理事と会食した席で、その話をしてますよね。
八木 福地さんの方からこの件の話題が出まして、聞かれましたので、お答えしました。
福地氏との話の中で、もうこれはつくる会に対する重大な裏切り行為であるということで、藤岡氏を召還して査問するなり、あるいは緊急理事会を招集するなりすべきではないかと、言いましたか。
八木 いえ、言っておりません。
他方、福地理事は、これは重大な問題だからと、ただちに種子島会長と相談し、藤岡氏をすぐに呼んで、事実関係を査問したようですが、あなたはそうすべきだとは思わなかったのですか。
八木 それは受け取り方の問題でありまして、当時さまざまな 怪情報が飛んでおりました。例えば、私が統一協会の信者であるとか、中国でハニートラップにかかったとか、私を誹謗中傷するようなものを含めて、怪文書・ 怪情報が飛びかっております。そういう中に、藤岡氏のものもあったということでありまして、当時の私としては、もともと発信元不明の情報でありますし、そ れほど重きを置いていなかったということであります。


【傍聴席からの補足】


《 八木氏は「公安情報」がガセだと自白した 》  

 八木氏のこの返答により、「公安情報」が一片の価値もないガセネタであることを自白したも同然だと、我々は確信する。  

  つくる会の運動は、戦後日本の自虐史観を見直すべくスタートした。数千人の会員の会費と篤志家の寄付金、つまりは細々とした浄財で維持してきたものであ る。子供の、ごっこ遊びではない。当然つくる会のリーダーには、大人の判断力と会を維持発展させるべき強い責任感が求められる。

 既に渡辺浩記者への疑問で明示したが、簡潔にくりかえしたい。

  藤岡先生は、つくる会を立ち上げた創始者の一人であり、「新しい歴史教科書」 の中心的執筆者でもある。その人物が共産党員であることを秘匿して、扶桑社版・第一版の作成に携わったとしたら、ペテンそのものであり、保守文化運動の信 頼を根底から損なう結果になる。日本人の精神文化を冒涜するという点では、偽装食品よりも悪質な裏切りと断ずべきだろう。むろん、つくる会運動そのものが 壊滅してしまう大スキャンダルだ。

 それほどの一大醜聞がファックスで届けられたあと、八木氏は実に矛盾した言辞を展開する。私と藤岡氏を誹謗する怪文書・怪情報が飛びかっており、元々発信元不明の情報なので、それほど重きを置いていなかったという。

 これは真っ赤な嘘だ。重きを置いていなかったら、わざわざ公安に問い合わせ たりしなかったはずだ。

 公安に問い合わせると、「うちのデータではそうなっている」との返事があったという。

 「公安の知人」が正しいと保証してくれたというこの瞬間から、つくる会 の理事としての八木氏の資質が問われる事態となった。当然藤岡氏の審問や、緊急理事会の開催を求めるべき重大事だからである。

 しかし八木氏は、信じがたいことに、理事として取るべき行動は一切起こさず、こそこそと他の理事に触れまわっただけだった(!)。

  多数派工作のために、自分から福地氏を中華料理店に呼んでおきながら、「公 安情報」は、聞かれたから答えたと言い繕う。雑誌に書いたのは、西尾氏への防御的な意味合いだったと自己弁護する。すべて受け身であることを装うことに必 死なのだが、武士道精神からは余りに遠い姑息な弁明である。男らしさとはほど遠い行動は、保守論客の名を汚すものでしかない。

 ところで、「公安情報」はその後、どう取り扱われたのか。

 3月20日の席で、八木氏から「公安情報」が正しいと聞かされた福地氏は、非常事態と受けとめ、ただちに種子島会長に連絡し、3月25日に、藤岡氏を呼んで審問した。理事として真っ当に判断し、当然の責務をはたそうとした行為である。

 一方、「公安情報」の存在を聞かされた藤岡氏は、びっくり仰天し、釈明のための反論を直ちに開始した。これまた合理的な弁明であり、責任の果たし方である。

 これに対し、「公安情報」に接した渡辺浩記者が、「そんなものかな」としか受けとめなかったと法廷でとぼけてみせたのは、既報の通りである。

  また八木氏は、「私を誹謗する怪情報・怪文書の類」が出回っていたので、「それ ほど重きを置かなかった」と返答している。「そんなものか」と「重きを置かなかった」という反応は、「親しくない同士」の二人なのに、なんと近似している ことか。作戦上口裏を合わせたとしか思えない。

 八木氏が前会長らしい行動を一切起こさなかった理由は一つ、渡辺記者ともど も、それがガセネタであることを初めから知っていたからである。その証拠は、八木氏の矛盾する証言内容からも確かめられる。

 八木氏が正常な責任感の持ち主なら、「公安の知人」に問い合わせて「公安情報」 が正しいと保証された直後から、とるべき行動には、二通りの選択肢しかない。

 一つは、一刻も早く藤岡氏をつかまえて問いただし、公然と会から追放すると いう正道だ。つくる会運動の存廃に関わる非常事態なのだから、コップの中の内輪もめどころではない。そのように対処していれば、保守言論人として毅然と対応したと称賛をあびたにちがいない。

 もう一つの解決策は、握りつぶしだ。藤岡氏を密かに呼びつけ、「一身上の理由」 でと詰め腹を切らせ隠蔽してしまう。良し悪しはとにかく、あらゆる組織で行われている大人の知恵のひとつだ。

  八木氏が「公安情報」をもし本物だと信じたなら、会員の負託に答えるためにも、 また、つくる会運動を維持発展させるためにも、当然どちらかの行動に出なければならなかった。だが、どちらの行動も取らなかった。腑抜けでも鈍感でもな く、ガセだと知っていたからだ。それ以外に、行動しなかったという理由はありえない。

 ガセだと知っていたはずだというもう一つの根拠 は、八木氏が正しいと信じた「公 安情報」と、他の「怪情報・怪文書」とを、わざと同列に置いてみせたことだ。「公安情報」が表に出ると、いずれ発信元が自分たちではないかと疑われること が分かっていた。それでガセネタをばら撒き、批判を逸らそうと謀ったのだ。犯人が凶器を巧みに隠す方法を、英国が生んだ名探偵ブラウン神父は「木の葉は森 に」と比喩したが、まさにそれを狙ったのだろう。

 八木氏が「統一協会信者」や「中国でハニートラップ」にかかったという怪情報 が、もし出回っていたとしても、取るに足らない風評の類でしかない。八木氏は確かに『公民』の第二版の執筆者だったが、自分から「統一協会」に入会したと は言ったことがない。噂としても誰も聞いていないのだから、デマだと笑い飛ばせばすむ。

 中国社会科学院との対談などは、第二版の採択戦が終わった後の話でしかなく、教科書の信頼の低下には直結しない。

 しかし、共産党員であった過去を自らの著書で繰り返し公言し、深く反省していた藤岡氏が、もし日共を離党していないとなったら、大嘘つきのスパイになる。言論人としては回復しようのない致命傷だ。

 藤岡氏の「公安情報」と、八木氏が誹謗されたとする「怪文書・怪情報」は、まったく質を異にする。木の葉をばらまき「出回っていたから」という外見を装っても、情報の危険度が違うのである。

 藤岡氏の死命を制することが出来ると分かっていたから、八木氏は、発信元不明なのに聞き流したりせず、わざわざ「情報源を明かせない」ような「公安の知人」に頼んで調べてもらったと言いふらしたのだ。そのあとも防御を装いつつ、雑誌に まで書きつづけたのである。

  再び言う。公安という国家機関から、そのデータは「正しい」と保証されたにもかかわらず、一切動かなかった理由は、ガセであることを知悉していたからだと 我々は断定する。「そんなものかな」としか認識しなかった渡辺浩記者には「記者失格!」を、八木氏には「保守言論人失格!」を通告する。




〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
               
守る会 茨城県支部 川又和敏
八木秀次被告の証言(その4)

C【藤岡副会長に対する除名動議

問  あなたがつくる会会長を解任された平成18年2月27日の理事会では、その冒 頭で原告藤岡氏を除名するという動議が新田理事から出されましたね。
八木 はい。たしか、そのように記憶しています。
問  除名は、役職の解任よりもはるかに重い処分ですが、あなたはこの除名動議に対して賛成しましたか、反対しましたか。
八木 よく覚えていません。
問  こんな重大なことを覚えてないんですか。
八木 その時は、わたしが解任されるということが一番大きなテーマになるという風に想定しておりましたので、記憶が定かではありません。
問  理事会の記録によれば、あなたは賛成している、違いますか。
八木 記録がそうであれば、それならそれで結構です。
問  なぜ賛成したんですか、理由は何ですか。
八木 会の混乱について、私は会長として、理事会の中で収められると思っていました。理事会の外には出さないようにと、理事にお願いをし、さらに……。
問  なぜ賛成したのかという理由を聞いているんです。
八木 ですから、情報を外に出さないで、中だけで解決しようと……それから私がつくる会の会長の立場を利用して参議院選挙に出馬しようとしているという情報を、産経新聞社内で藤岡氏が言っているという話が……出てきたと、それから副会長でありながら……。
問  簡潔に言ってもらえますか。
八木 副会長でありながら、藤岡氏が執行部の運営に全く非協力的であったということなどから……除名というのは、それをおそらくちらつかせただけであって、実体をそこに持っていこうという気持ちは、当時その動議に賛成した理事あるいは私にもなかったように思います。
問  あなたは、いま、滔々と賛成した理由について述べたのに、賛成したかどうか覚えていないというのは、おかしくないですか。
八木 それは、その理事会の、その際のことを……その後を正確に記憶をたどりますと、そういうことだということでございます。
問  この動議について、事前に新田から根回しがありましたよね。
八木 そこはよく覚えておりません。
問  根回しもないのに、その場で即断して賛成したんですか。
八木 詳しくはよく覚えていません。
問  先ほど、藤岡氏を除名する理由については滔々と述べられましたが、あなたが確認したという公安情報なるものを元に、再除名なりの動議を起こそうとはしなかったんですか。
八木 私は一応確認はしたつもりではおりますけれども、果たしてその内容が正しいのかどうかについては、私としては判断をしかねる立場にあります。それで査問……のようなことは……不適切だと思っていました。
問  では、なぜ本人ではなく、ほかの人に言いふらし、さらに雑誌記事に書くと、これは何ですか。 
八木 言いふらしてはおりません。その場で、話題がでたときに問われた際に答えたという程度のことであります。(中略)雑誌には、防御的な意味で書いたわけで(中略)藤岡氏の名誉毀損を目的とするものではない(中略)私が知り得た情報を(中略)淡々と述べたということでありまして……。
   
【傍聴席からの補足】

 原告側弁護人は、2月27日の理事会の冒頭で、新田理事が藤岡先生の除名動議を出した時の八木氏の態度を尋ねた。驚くべきことに八木氏は、動議に賛成したか反対したか「よく覚えていません」と答えた。それなのに、除名に賛成した理由を訊かれると、滔々とのべたてた。

 そこで弁護人は、「あなたはいま、滔々と賛成した理由について述べたのに、賛成したかどうか覚えていないというのはおかしくないですか」と問いつめた。傍聴席からは笑い声が起こり、八木氏はしどろもどろになった。

 2月27日の理事会で、八木一派は藤岡先生の追放を企み、多数派工作をして除名できると確信していた。ところが、票読みを間違え、除名動議は否決されてしまった。この除名動議を「ちらつかせただけ」などと訳の分からない言い方をしたのは、藤岡氏と対決していたという印象を消したいからである。裁決の結果、賛成多数 となれば、藤岡先生はその時点で会から追放されていたのだから、虚偽の陳述である。いったい、何を狙って嘘をついたのか。

 当日の理事会は混乱に陥り、藤岡先生ともども八木氏は会長職を解任されてしまう。ニセの「党歴情報」が理事の自宅に送られたのは、このわずか9日後である。

 八木一派が巻き返しの決め手として考えついたのがその「公安情報」だから、そう推断されないよう、藤岡氏とは激しい対立ではなかったかのように装ったのである。

 さらに八木氏は、「公安」から知り得た情報であるから、情報源は明かせない。内容が正しいかどうかは判断しかねる立場にあるが、淡々と述べるかぎり、特定人の名誉毀損かどうかなど顧慮せず、雑誌に書いてもかまわない、と言い切った。自己の利害得失のみで、民事・刑事の名誉毀損の解釈まで変えてしまうのだから、開い た口がふさがらない。


   〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
             守る会 茨城県支部 川又和敏
八木秀次被告の証言(その5)

D【鈴木・八木会合では何が焦点なのか

問  鈴木尚之氏と、平成18年4月5日に会っていますね。
八木 その頃、会ったような気がします。
問  「謀略情報を作成して流したのは、あなたと宮崎と新田であることを、渡辺から告白を受けた」と、鈴木氏はあなたに言ったんじゃないですか。
八木 そういう具体的な名前は出ていないと思います。
問  鈴木さんは「産経の渡辺記者が、藤岡さんに話したことと同じことを私にも言っているのだから、これはもう重大なことですよ。最悪のことを考えて対処しないと大変なことになりますよ。とにかく記者は顔色をなくして私にこう言ったのだから。謀略はいけない,謀略はいけない、と」。この法廷で鈴木さんははっき りと証言したんですが、それは聞いていますか。
八木 そのような趣旨のことは聞いたような気がします。
問  そのときに鈴木氏に「謀略文書をつくったのは産経の渡辺君のくせに、彼は1通、いや2通つくった。これは出来がいいとか言ってニヤニヤしていたんだから」というふうにあなたは言っていないですか。
八木 「謀略文書」という言葉は使ってないと思います。
問  何と言ったんですか。正確に再現してください。
八木 それは多分指示語であったんじゃないかと思います。
問  じゃ、これを作ったのは。
八木 それには若干の説明が必要です。
問  そのとき何と説明したかについて聞いているんです。
八木 鈴木氏が「渡辺は、怪文書は八木さんが作ったんだというふうに言ってるんだと、おれはそう聞いたんだ」と言うので、私には身に覚えがないことでしたので、そんなことを言う渡辺氏が作ったと言えるんじゃないのかという、抗議の意味で、そのような発言をしております。


【傍聴席からの補足】

《 八木・渡辺間で責任のなすりつけ合いが起きた 》

 八木氏は渡辺氏とは「親しい関係にはなかった」そうだが、渡辺氏は大層八木氏と親しくしていたにちがいない。「謀略文書」を作ったのは、八木・宮崎・新田だと、鈴木氏には実に大胆に「謀略犯人」を特定している。

 「親しくもない」渡辺から、そういう濡れ衣を着せられた八木氏は、渡辺への「抗議の意味」で、「そんなことを言う渡辺氏が作ったのでは」と鈴木氏に弁明したのだと答えた。

 この4月5日という日は、大変重大な意味を持つ。その1週間前の3月28日の理事会で、八木氏は副会長に復帰していた。7月には会長に戻る路線も内定していた。

 仇敵(?)の藤岡氏は、執行部には入りそうもない。わずか1ヶ月ちょっとで、失地の回復に成功した直後であり、先頭にたってつくる会運動を再開できる立場にあった。

 同時に西尾氏がブログで謀略文書を公開した直後だったため、破廉恥犯探しが盛んに取り沙汰されていた時でもあった。

 そんな最中に、「親しくもない」産経新聞の記者から「八木が犯人だ」と名指しされたら、男子たる者は先ず激怒するのが当然ではないのか。深夜、つくる会の創始者の自宅に脅迫ファックスを送り続けるなど、あまりに無慈悲であり性根の腐ったやり方である。

 その犯人だと断定されたのだ。潔白を証明するためにも、「いますぐ渡辺を連れてこい。俺を犯人扱いするなど、侮辱するにも程がある。そんな悪辣な謀略に手を染めるような俺だと思うか。なめるな!」と拳をかざすのが、正常な反応だ。

 何故その場で渡辺を呼びつけ、鈴木氏を証人に仕立て、渡辺に土下座させなかったのだろう。謀略文書作りの犯人にされてしまえば、副会長解任はむろん、今度こそつくる会から追い出されてしまうではないか。

 しかし、八木氏の反応は、不思議なほどに女々しかった。「そんなことを言う渡辺氏の方が作ったのでは」と、鈴木氏に言い返しただけなのだ。その場で渡辺を捕まえられなかったとしても、その夜か翌日までには大喧嘩をして縁を切るべきなのに、何もしなかった。

 次のE【平成18年4月理事会での発言】で明らかになるが、その後渡辺氏とこの件でやりあったという形跡は全くないのだ。それどころか、蔭ではさらに結束を強めていたのだから、「作ったのは八木だ」と断定した渡辺氏の証言こそ正しいのである。

 このやりとりで指摘しておきたいのは、「謀略文書」づくりで名前が上がったのは、「八木・新田・宮崎(渡辺の指摘)」と「渡辺(八木の指摘)」の4人しかいないことだ。

 また八木氏は「怪文書・怪情報」が出回っていたというが、「怪文書・怪情報」を作った何者かへの疑念は、渡辺ともども微塵も表明していない。「怪文書・怪情報」は、犯跡隠蔽のための自作自演だったという、なによりの証拠だろう。


〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
        
 藤岡先生を守る会 茨城県支部 川又和敏

八木秀次被告の証言(その2・その4への追加)

 法廷報告を読んでいるという大手新聞のベテラン記者氏から、次のようなご教示があった。

 新聞記者を含め、ニュース報道に携わるジャーナリスト、あるいは警察など捜査関係者のごく初歩的な原則に、「裏付(ウラ)をとれ」がある。AがBを告発したら、Aの言葉を鵜呑みにせず、必ずBにも取材してその弁明を聞かねばならないという、調査の鉄則のことだ。

 それを怠ると、思い込みによる偏向報道や、片手落ちの誤った判断をくだしかねず、なにより人権侵害として、逆に訴えられる危険性があるからだという。

 八木氏は「公安の知人」のデータなるものを、藤岡先生に確かめもせず、外部発表した。藤岡氏は見ず知らずの相手ではない。つくる会にあって、こじれる直前までの1年半は、会長・副会長として共に運動を進めてきた仲間ではないか。大学人・保守派言論人としても大先輩だ。これほど「裏付」のとりやすい相手はいなかった はずだ。

 ジャーナリストのイロハも守らずに、「取材源の秘匿」を口にして保身をはかるなど、たしかに、笑止というほかない。



   〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
              
                            守る会 茨城県支部 川又和敏
八木秀次被告の証言(その6)

E【平成18年4月理事会での発言

問  甲30の2「理事会反訳書」4頁真ん中の下線部分は、平成18年4月30日の理事会の内容ですが、そこでも鈴木氏は「ニヤニヤ云々」という同じ話をしている。これは覚えていますか。
八木 ええ、覚えています。
問  これに対し、あなたは、この鈴木氏の発言を否定していないですね。
八木 「いや、そんなことを言うけれども」と私は言っています。八木さんが怪文書を作ったというように渡辺が言っているという部分を受けたものでありまして、その前提がなければ、私はこのような発言をしなかったということであります。
問  そういうふうに、(理事会で)何で弁明しなかったのですか。
八木 理事会は、私の査問会と化していたという記憶があり(中略)そのような反論が出来る状況でもなかったし、私は文書でその反論は用意しておりましたので、その場では答えなかったということであります。
問  同じ反訳書の5頁の下線部で、あなたは、この理事会で鈴木が指摘した先ほ どの報告に関して、「謀略文書云々については、それを彼が送ったかどうかは 私はわかりません。家に別なものをつくって送ってきたことがあります。それは、送られたものとは違います」と弁明してますが、やはりいくつかのバージョンが存在 する謀略文書の一部を、渡辺が作成しているということを、あなたは認めているじゃないですか。
八木 いや、認めていません。当時、産経新聞の教科書取材班あてに送られてきた怪文書まがいの幾つかを、私のところに送ってきたので、彼自身が作ったものだと勘違いしたのです。その謀略文書は、党歴にかかわるものではなく、別のものです。
問  その別のものとは何ですか。
八木 西尾氏と藤岡氏がまわりに当たり散らしている絵です。
問  漫画ですか、印刷された絵ですか。
八木 手描きの絵だと思います。何かの電話で彼が、「非常にこれは出来がいい出来がいい」と言っておりましたので、彼とは、そんなに親しい関係ではありませんから、ついそのような受け取り方をしました。
問  あなたは、何で漫画とは言わなかったんですか。(乙6号証『諸君!』の記事を示す)先程も読み上げた通り、理事会では、「別なもの」というのが漫画であるということは一言も言っていない。もし謀略文書ではなく、それとは似ても似つかない漫画なのであれば、積極的にそう説明すべきではなかったのか。これは あなたが諸君に投稿した記事ですが、「同氏(渡辺)によれば、産経新聞社には「つくる会」内紛に関して2月から3月に掛けて怪文書紛いのものが多数送られて来た。私を誹謗中傷したものや西尾・藤岡両氏を非難したものがあり、何枚かを照会の意味で私の自宅にファックスで送ったという。その中の二通(西尾・藤岡両氏を揶 揄したもの、藤岡氏の手法を非難したもの)について、これは出来がいい」と渡辺氏が電話で述べたので、私は同氏の自画自賛だと思い込んでしまったのが真相だ」と書いています。
八木 「怪文書まがい」というのは、幅の広い言い方であります。直接会ってニヤニヤした顔を見たわけではなく、電話での対応がいかにもニヤニヤしていそうだということです。
問  あなたは(渡辺から犯人と名指しされたあと)嘘をつくなと問いつめましたか。
八木 どの時点でしょうか。
問  どの時点かは知りませんよ。それを聞いてから、ですよ。
八木 4月の理事会のちょっと後だったと思いますけれども、渡辺氏にその辺の所を一応確認したら、何を言ってるんですか、と叱られました。それで謝罪したのが4月の終わりか5月あたりにあったと記憶しております。
 
 【傍聴席からの補足】

《 緊張感の無い対応こそ、謀略犯である証拠だ 》

 皆さんは、どう思われるだろう? 八木こそ謀略事件の犯人だと、渡辺記者から名指しされたことを八木氏が知らされたのは、4月5日である。25日後の、4月30日には、その謀略事件の責任を問う理事会が開かれることになった。汚名を濯がなければ、解任必死の理事会なのだ。とうぜん事前に渡辺記者と対決し、身 の潔白を証明してから理事会に臨むのが、つくる会副会長としての最低限の務めだ。

 つくる会の副会長が、新聞記者に、まことにおぞましい破廉恥犯の汚名を被せられたのだ。自らの名誉のためにも、会員の士気を鼓舞するためにも、断固渡辺記者を糾弾し、理事たちに真相を伝える義務があった。

 ところが、渡辺記者に「その辺のところを、一応確認した(抗議ではない!)」のは、理事会で糾弾され退会した後だったという。とても責任ある地位を託されていた人物とは思えない緊張感の無さである。このだらけた態度は、いったい奈辺に原因があるのか。

 また、渡辺から「何を言っているのか」と叱られると、あっさり「謝罪した」のだという。無実なら、では自分を退会に追い込んだ謀略文書の真犯人は誰なのかが気になって仕方がないところだ。何故その場で二人して、ああだこうだと推理しなかったのか。なぜあっさりと「謝罪」したのか。

 実際には八木氏は、一応の確認すらしていなかったはずだ。なぜなら、渡辺浩記者との間では、八木氏が謀略の犯人だということは自明の理だったからである。




  〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
                   守る会 茨城県支部 川又和敏

八木秀次被告の証言(その7)

F【3月の理事会について記した総括怪文書


問  甲21号証(平成18年3月31日に西尾宅に送られた4日前の理事会の議事を記した「怪文書」)ですが、これは2枚組で来ているんですけど、見たことがありますか。
八木 西尾氏がインターネットで公開してから、初めて見ました。
問  この怪文書の1枚目ですが、あなたも出席した平成18年3月28日の理事会についてのことが書かれていますが、1行目終りから「理事会で『これからは西尾が何を言っても相手にしないようにしよう』と言い出したのは福地です」と書いてありますが、理事会でこのような話は出ましたか。
八木 いや、記憶にありません。
問  「西尾先生の葬式に出るかどうかの話も出ました」という話は理事会でありましたか。
八木 いや、出ていないと思います。
問  「『フジサンケイグループ代表の日枝さんが私に支持を表明した』と八木が明かすと会場は静まり返りました」と、こういう事実はありましたか。
八木 ありません。私が言うはずがありません。議事録を正確に見てください。
問  「宮崎は明日付で事務局に復帰します」と、理事会で決まりましたか。
八木 理事会では出てない話だと思います。
問  「藤岡は『私は西尾から煽動メールを受け取ったが反論した』と証拠資料を配りました」こういう事実はありましたか。
八木 そういう事実はないと思います。
 

【傍聴席からの補足】

 この「怪文書」は、西尾氏宅に深夜送られた2枚つづりののファックスで、3月28日の理事会の内容を、さも真実のように記述したものである。真夜中にそれを読まされた西尾氏は、一睡もできなかったという。内容が、西尾先生の神経を逆撫でするような記述で溢れていたからである。

 (西尾氏が信頼していた)福地理事が背いたぞ、西尾氏の葬式の話が出たぞ、(1ヶ月前に退職に追いこまれた)宮崎事務局長が復職するぞ、藤岡氏も裏切ったぞ、と連ね、その藤岡離反の証拠物件として、〈西尾・藤岡往復書簡〉が添付されていたのだ。

 これは、ご自身と藤岡氏との間で密かに取り交わされたファックスによる私信である。藤岡氏が公表しない限り、世に表れようがない。それが差出人不明のまま自宅に送られてきたのだ。藤岡は自分を裏切った、この文書の内容は本当なのだと誤信し、凍りついてしまったのだ。夜明けを待って、評論家であり、当日の理事会に出 席していた田久保忠衛先生に電話し、まったくのデタラメだと知るまでは、強い恐怖にとらわれていたという。

 皆さんは〈西尾先生の葬式に出るかどうかの話もでました〉という一文から、教師までが加担した「葬式ごっこ」を連想するのではないか。十年ほど前に流行り、何人かの小中学生が自殺に追いこまれた、あの「死ね」と罵倒する陰湿極まるイジメである。大のおとなが、それも大学教授が、イジメと同質の愚行に手を染めるなど 、あってはならないことだ。

 この謀略に関わったのは、「八木・宮崎ら」だと渡辺浩記者は明言した。それに対し八木氏は公的な反論を全く試みなかったことが、今回の証言で分かった。

 保守論壇の大先達を「葬式」をネタに深夜ファックスで嘲弄したのが、40代の憲法学者(八木)と50代の武士道研究家(宮崎)だとしたら、情けない、ではすまされない。

 八木氏は、いま、日本教育再生機構と教科書改善の会の要の役にある。事情を知らない保守派の運動家の中には、一時期、つくる会は八木氏らと大同団結せよと諭す方がおられたが、こうした八木氏の反道徳的な側面を知った今も、協調すべきだというのだろうか。



〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
        
                              守る会 茨城県支部 川又和敏
八木秀次被告の証言(その8)

G【西尾・藤岡往復書簡

問  2枚目の西尾・藤岡往復書簡は見たことがありますか。
八木 鈴木さんから、(甲1と交換で)ファックスで受け取りました。
問  鈴木氏は「絶対に人に見せるな」と釘を刺しましたね。
八木 文書の存在を鈴木さんが明らかにしたのは前夜で、「一連の内紛の首謀者は  西尾幹二氏で、西尾氏と藤岡氏が連携した動かぬ証拠だ。ただ、これが表に出ると西尾さん藤岡さんは非常に困ったことになるので、表には出さないでくれ」と言われました。
問  あなたは、これを人に渡しましたか。
八木 私は、この内容を見て、非常に驚きました。私のことがいろいろと書かれておりますし、その通りにシナリオが進んでいたということにも驚いたわけです。たまたま、そのとき伊勢の新田氏から電話があり、読んだ気持ちを新田氏に伝えました。新田氏はほしいといい、1時間後、その熱意に負けて、新田氏の自宅にファックスで 送りました。ということで、見せたということはありますね。
問  鈴木氏から、人に見せるな、渡すなと言われたのに、渡したわけですね。
八木 これは非常に重要なことが書かれていると思いましたので、鈴木氏との約束というよりも、その内容を重視して、新田氏限りということで送ったということです。
問  このことを鈴木氏から電話で、4月7日ですか11日頃ですか、「誰にも見せていないだろうな」と訊かれましたよね。
八木 日にちは覚えていませんが、記憶はあります。
問  それに対してあなたは、見せていないと、最初、嘘をつきましたね。
八木 それは、当時、既に鈴木氏に対して、私は不信感をもっていたので、そのように対応したという、まさにそれだけのことです。
問  そのとき「間違いない、見せていない、4つに畳んで家に置いてある。外には出していない」というふうにあなたは言ったと、鈴木氏が証言したんですが、そういう言い方をしたんですか。
八木 はっきりそういったかどうか、覚えておりません。
問  4つに畳んで家に置いてあるという、非常に具体的に、確信を持ってわざわざ言ったんですよね。
八木 いや、日常会話ですから、そこははっきり覚えておりません。 
問  ところが、そのあと、見せたということを、鈴木氏にも自白しましたよね。
八木 新田氏にファックスを送ったということは、明らかにしたということです。
問  どうして自白することにしたのですか。
八木 ですから、そういうものが出回っていると鈴木氏から問いつめられたので、いや実は出したんだと正直に答えました。
問  (甲21号証を示す)この2枚目、往復書簡の真ん中あたりの手書き部分で、4人組プラス八木という、プラスの部分があなたに渡したものであることの証拠なんですけど、これはあなたが怪文書に加担したということですか。
八木 いえ、確かに私の所から新田氏の所に行ったのは紛れもない事実ですけど、  新田氏は、このコピーをかなり広範囲に配布したと、新田氏から聞きました。
問  いつ聞いたんですか。
八木 ちょっと記憶がハッキリしていません。
問  鈴木氏から問いつめられて、新田氏に確認した時ですか。
八木 いや、ちょっとハッキリしません。
問  じゃ、4月の上旬頃ですか。
八木 いや、上旬ではないと思います。
問  下旬ですか。
八木 いや、わかりません。その当時、藤岡氏と新田氏との間で、随分やりとりがあり、確かに最初は私の所から出ましたけど、それで怪文書に私が関与した証拠とされるのは、甚だ心外です。
問  新田氏は、甲21号証はおれが作った怪文書だと認めたんですか。
八木 いや、それは聞いてはおりませんけど。
問  当然訊くでしょう。こういうのが出てるぞと、あなたがやったのかと訊くでしょう。
八木 いえ、これは西尾氏が明らかにしてからわかったことで。
問  じゃ、明らかになってから、訊きましたか。
八木 私は、こういうものに、一切関与しておりませんし、新田氏も否定すると思います。
問  否定すると思います、ですか。
八木 ええ、しっかりと確認した記憶がありません。
問  新田氏が配ったのは、つくる会関係者でしょうね。それ以外の人に配っても  、意味はないですよ。
八木 それは新田氏に聞かないと。
問  あなたが出元だと疑われているわけですから、自分ではないということを証明しようとは思わなかったんですか。
八木 私の次に疑われたのは新田氏でありましたので(略)。
問  この文書は3月25日に新田氏に渡して、新田氏から他の人に渡り、あなたが知ったのは4月以降ということですね。
八木 いろいろ出回っているということが分かったのは、4月の何日かだと思います。
問  じゃ、あなたに対し(中略)こういうものが出てますよと、不特定多数の人の中で、あなたのシンパで、これを持ってきた人は、1人でもいますか。
八木 覚えていません。
問  来たかどうかも覚えてないと?
八木 ですから、その辺は新田氏にきいていただかないと……。
問  それだけ多くの人が知っていて、あなたにこれを注進してこないというのはおかしいんじゃないですか。十何日間はあるわけですから。
八木 ですから、記憶がはっきりしないというわけです。
問  否定はしないわけですか。
八木 文書の内容が衝撃的ですから、そういうふうに持ってきた人がいたのかどうか、よく覚えておりません(ママ)。


【傍聴席からの補足】


《 皇學館大学教授の新田氏は、いまでも防波堤役を引き受ける気なのか? 

 〈西尾・藤岡往復書簡〉は、八木氏が謀略の要にいたことを立証する直接証拠である。鈴木氏の証言によれば、当時鈴木氏は、なお藤岡・八木間の和解を願い、藤岡氏に私心がないことを証明する文書として、3月25日に八木氏に手渡した。

 既述のように鈴木証言によれば、西尾氏の原文にあった〈宮崎・4人組・八木〉という表記を、(八木氏は後から宮崎グループに加わった)という事実経過をふまえ、〈宮崎・4人組+八木〉と中黒ポッチ「・」を「+」に書き変えたコピーである。私信なので絶対他人には見せるな、と念を押したのは、しごく当然のことだった 。

 それを自宅のファックスで受け取った八木氏は、1時間後に、新田氏に転送し、新田氏は不特定多数にさらに転送した、と言いはっている。これは犯人探しを困難にしようとする予防線だ。

 ただし、八木氏が新田氏の背信に気づいたのは、4月何日かだったという。面妖なのはその間、誰一人として危険な文書が出回っていることを八木氏には忠告していないことだ。また出回った事実を知った後も、新田氏と藤岡氏がやり合っていたのでという、まったく意味不明な理由を盾に、新田氏に直に問いつめたことはなかっ たという。新田氏は共謀仲間だから論争は任せたと言いたいのか、それとも、新田が勝手にばらまいたのだから自分で解決しろと言いたいのだろうか?

 渦中で火達磨になろうかという時に、まことにのんびりと傍観していたという、信じられない対応だ。しかも、疑惑の集中砲火を浴びながら、自己の潔白を証明すべき勘所での質問には、若き知識人とは思えないほど「覚えておりません」を恥じらいもなく繰り返す。

 ここでの証人尋問で、皇學館大学教授の新田氏は、「他人の私信」をばらまくという無節操な悪役を振られているが、承知の上なのだろうか。

 八木氏が同時傷害罪に似た「不特定多数」の壁に隠れないよう、原告側弁護人は、じつは周到な網をはった。3月25日以降新田氏がばらまいたはずの〈西尾・藤岡往復書簡〉が、八木陣営の中では一度も話題になっていないことを、丹念な質問で暴いたのだ。

 八木シンパの2ちゃんねらーが、東京支部掲示板に、悪口雑言を浴びせつづけていた最中に、誰一人〈西尾・藤岡往復書簡〉を公表して、西尾・藤岡両名を誹謗しなかった。八木氏への御注進も(覚えていないというから、つまりは)無かった。何故か。この〈西尾・藤岡往復書簡〉は、西尾氏を疑心暗鬼にさせ、藤岡排斥へと向 かわせる決定打になると考えていたからだ。

 謀略犯たちは、3月28日の理事会終了を待って、有ること無いことを書き立てた1枚目に〈西尾・藤岡往復書簡〉のコピー添えて、3月31日の深夜、西尾氏の自宅に送りつけたのである。

 その成果や如何と、謀略犯らは、イタズラを仕掛けた悪ガキのように、息をひそめて見守っていたに違いない。その目論見はいったん当たり、西尾氏は怯え、藤岡氏に怒りを向けかけたが、たぶらかされたとわかってからは、赫怒して犯人探しを始めた。

 予想外の強い反撃と、その激しい剣幕に震えあがった渡辺浩記者は、4月3日から、「謀略はいけません」と謝罪行脚を始め、やったのは「八木・宮崎ら」と自白して歩いた。以後ピタリと怪文書騒動は止んだので、渡辺浩記者の懺悔の内容が正しかったことを明示している。

 八木氏が「記憶無し」を連発したのは、謀略の主犯だと特定されるのを、回避するためなのである。

 その曖昧化に裁判所が騙されるかどうかは、まだ不明だが、八木氏は実は最も大切なものを失った。評論家としての資格だ。

 八木氏は、鈴木氏との約束を破った理由として、「鈴木氏に不信感」を持ちはじめたからだという。しかし、2週間近くたち、「誰にも見せていないだろうな」と念を押されると、見せていないと嘘をついている。

 「不信感」を抱いたら約束は一方的に破っても良いと、八木氏は主張した。「盗人にも三分の理」という諺があるから、日ソ不可侵条約に違反したソ連の蛮行を非難できなくなる。嘘で塗り固めた南京屠殺記念館、偽装表示が跋扈する食品業界、道徳教育欠如の日本の教育界等々を批判することはできなくなるのではないか。

 「約束違反と嘘」が一方の気分次第で許されるというなら、「契約」は成りたたない。

 契約は、人類が創造した、平和的共存には欠かせない文化規範である。それを八木氏は、自己の正当化のために、ためらいもなく破り棄て、「他人の私信」を白日のもとに晒し、いままた法廷で追認したのである。知識人の名が泣く。盲目的なシンパなら知らず、我々は今後、八木氏の言説には一切耳を傾けるつもりはない。

 産経新聞の「正論」や月刊誌の『正論』欄からは、早々に身を引いて、謹慎の姿勢を示すべきだろう。



〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
             守る会 茨城県支部 川又和敏
八木秀次被告の証言(その9)

H【義父についての赤旗記事

問  (甲22号証=原告の義父が共産党員であったことを示す赤旗記事を一部拡大強調した「怪文書」を示す)これは甲21号証の怪文書の前日に西尾方に送られてきたものなんですね。これは見たことがありますか。
八木 西尾氏か藤岡氏のインターネット上で見ました。
問  身に覚えはありますか。
八木 ありません。
問  (甲21号証の「総括怪文書」を示す)1枚目の真ん中のところに、「藤岡は代々木党員問題はうまく逃げましたが、妻は党員でしょう」とあります。これが先程の赤旗の怪文書の翌日に来ているということは、出したのは同じ人間ということでしょう。
八木 いや、それは私は今は分かりません。
問  新田一派ですか。
八木 具体的な名前をいうのは、こういう法廷の場ですから、慎むべきだと思います。
問  具体的に名前は言えないということですか。
八木 だいたい(中略)存在を知ったのは、随分後になってからのことです。
問  (甲30号証の2「理事会反訳書」6頁中段下線部を示す)。あなたは一連の謀略文書問題について,4月30日の理事会で、「私を支持してくれている人たちがやったということを言われるのであれば,それはそうかも知れません」と言ってるじゃないですか。
八木 はい、そのように発言しております、その場では。
問  じゃ、この支持をしてくれる人たちというのは誰ですか。
八木 その場では、とにかくもうおまえたちがやったんだろうという事を、いろいろ強く言われたので、もういいやということで、言ったわけです。そこに、さしたる確証があったというわけではありません。
問  (甲21号証の「総括怪文書」を示す)。渡辺が、これはよく出来たといってニヤニヤ笑っていた文書というのは、これでしょう。違いますか。
八木 違います。


〈30分間と限られていた予定時間を13分も延長したが、裁判長の制止はなかった。また被告側代理人は証人尋問をしなかったので、これをもって終了した〉

【傍聴席からの補足】

《 覇気も根気もない人物に日本の未来は託せない 》

 八木氏の口から、リーダーとしての資格を根本から疑わせる答弁が、最後の最後に飛び出した。

 4月28日の理事会で、〈西尾・藤岡往復書簡〉を使っての脅迫という、のっぴきならない証拠を突きつけられた八木氏は、「いろいろ強く言われた」から「もういいやということで、言ったわけです」と弁明した。

 もし無実なら、国士たらんとする者は、「もういいや」などとは、間違っても口にしてはならない。歴史教科書や従軍慰安婦問題で、韓国・北朝鮮から「強く言われたら」、「もういいや」と匙を投げてしまうような怯懦な人物に、国益を論ずる資格はない。その程度の信念しか持ち合わせていないのに、よくも堂々と中国社会科学院に乗り込めたものだと慄然とする。

 これもまた嘘で、八木氏が「もういいや」と白旗を上げ、同座していた仲間の4理事と共に退室し、つくる会を去ったのは、「無実ではなかった」からだ。

 尋問で明らかになったことは、八木氏は自身に容疑が集中している事柄すべてについて、渡辺氏や新田氏と一切対決していないことだ。なぜ敢然と無実を証明しなかったのか。なぜ漏洩ルートを確かめなかったのか。

 冤罪への怒りがあるなら、取っ組み合ってでも、身の潔白を証明しようとするのが、まともな人の取るべき態度だ。その不作為こそ、謀略に自身が関わっていたことの何よりの立証だと我々は確信する。

《 我々もまた慚愧している 》

 平成16年秋、八木秀次氏の新会長就任を、われわれ一般会員は大きな期待をもって迎えた。だが、その1年半後、八木氏は「会長の器ではなかった」ことを露呈し、退会に追いこまれた。

 いまわれわれは慚愧の念と共に、この法廷報告をお届けしている。

 八木氏と藤岡氏の確執が「つくる会」の運動に伴う甲論乙駁に止まっていたら、藤岡原告は提訴しなかったろうし、われわれの支援も不要だった。

 しかし八木氏は、「藤岡氏は平成13年までは共産党員だった。公安の知人がそう言っていた」と、まず、つくる会の理事らに耳うちしてまわった。

 平成13年とは、つくる会の『新しい歴史教科書』(扶桑社版・第一版)が文科省の検定を通って採択にかけられていた年である。つくる会の事務局が放火され、いったん採択した地方自治体が左翼の脅迫により撤回して取り消し、中韓両国の内政干渉が行われ、まさに「鼎の沸くがごとし」状態だった年だ。

 藤岡氏が、その第一版の中心執筆者であったことは、つくる会にとっては周知の事実だった。ところが八木氏は、平成18年3月下旬、「第一版を執筆していた当時、藤岡氏は共産党員だった」と言いだしたのだ。

 保守言論界にあって、この意味するところはすこぶる重大だ。つくる会の教科書は隠れ共産党員の手で世に出された、藤岡氏とつくる会の教科書は信用できない、という身内からの驚天動地の批判だからである。

 八木氏は、2月27日まで、つまり僅か3週間ほど前までは、つくる会の会長をつとめていた。3月末の理事会では副会長に復帰し、7月には再度会長に戻ることが内々で承認されていた。

 ところが、西尾先生を脅迫した謀略ファックスの首謀者であることが、4月30日の理事会で証明されて退会に追いこまれると、雑誌記事を通じ「公安情報は正しいと信じた」と、さらに公然と藤岡氏を誹謗しつづけた。

 3回・4人におよんだ証人尋問を通じ、八木氏らの謀略なるものが、如何に不明朗かつ恥ずべき手口で世に出たかが明らかになった。いま、高崎経済大学の教授に昇進している八木氏は、このツケをきっちり払うことになるだろう。    (了)


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 それでは、おまけを、もう一回。

〈藤岡先生の名誉を守る会〉の法廷報告
     
                             守る会 茨城県支部 川又和敏

八木秀次被告の証言(その10)

傍聴席からの補遺

《 八木氏は「覚えていません」と何度答えたのか? 》

 八木被告が、原告側弁護士の質問に対し「覚えておりません」を多発したことは、すでに述べた。それに対し、「いったい何度くらい、そう言ったのか」という質問を頂いた。

 裁判所の速記録で確かめると、「覚えておりません」と似た言い回しを合計すると、最低でも14〜15回ぐらいは答えている。メチャ多いのだ。

 渡辺浩記者は2回ほどだから、証言を通じて謀略に加担したと名指しされたご両人は、色々と記憶を失っていることになる。

 一方、原告の藤岡先生と原告側証人の鈴木氏は、全てを鮮明に記憶しており、「覚えていない」とは一度も返事していない。

 むろん、八木・渡辺両氏は、「覚えています」と答えると、自分に不利になるのが分かっているので、ロッキード事件の証人並みに、すっとぼけて見せたのだ。

 裁判は闘争だから、誤魔化すのも戦術の一つかもしれない。だが、あれだけ博識を誇る40代の八木氏が、まことに物覚えが悪いことを演じて見せたのは、不誠実というより醜態だった。評論家としての格付けも、一段と低下するのではないか。



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